ワールドウォーZ 鑑賞
2013年8月19日 趣味 コメント (2)
粗筋
元国連捜査官のジェリー(ブラッド・ピット)と家族の乗った車が、渋滞にはまっていた。すると、前方で爆発音が聞こえ、トレーラーが無数の車をはじき飛ばしてクラッシュし、パニック状態の群衆が通りになだれ込んでくる。そのただならぬ状態から家族を守ろうと、妻子を連れて逃げるジェリー。やがて、彼は人間を凶暴化させる未知のウイルスが猛スピードかつ世界的規模で感染拡大しているのを知る。そんな中、元国連職員の技能と知識を買われたジェリーは、各国を回ってウイルスの感染原因を突き止めるよう依頼される。
感想
近年のゾンビ映画の中では屈指の面白さだと思う。ショーンオブザデッドとかドーンオブザデッドに並ぶものだと思う。
先ず、予算凄いですね。ゾンビ映画というと、先ずインディーズものが殆どで、そういうもの中でスマッシュヒットしたものが日本に上陸するというのが定説。まあバイオハザードは例外なんですけど、3以降は完全に方向性を誤ってクソ映画に堕しているというのが現状。
この映画は金がかかっていて、それでいて且つ「ゾンビ映画」に徹していることがバイオとの違い。エルサレム陥落のシーンでは実写を一切使うことなくあの迫力ある映像を作ったという。
普通のゾンビ映画との違いは一つに血やゴアシーンを極力排したこと。昨今人気の走るゾンビものの一つではあるが、元来「追いかけること」と「食うこと」は親和性がないため、この「追いかけること」に徹した映像作りにしたことは、ゾンビのスピード感、迫力を表現する方法としては良かったように思う。それとただ走るだけではなくて、エルサレム陥落のシーンのようにジャンプしてとびかかってきたらせたのも良かった。一番良かったと思ったのは単に皆で走るのではなく、群衆で走らせることで足がもつれて転び、なおその上を踏み越えて走ってくる群衆の「波」を表現できたこと。これはまさにcGなくしては出来ない表現で非常に好感が持てた。
金をかけたということに付随することだが、ゾンビ映画にしては世界観が広いと言うのも注目に値する。ゾンビ映画は概して狭い空間でのサバイバルがほとんどだが、これは主人公の特性上、アメリカ、韓国、イスラエル、ヨーロッパ(国の名前忘れた…)とあちこちを飛び回る。このめまぐるしい場面展開も映画のスピード感を出す効果を発揮していた。
イスラエルまではゾンビの波に民衆がただ蹂躙されるだけ、というアクション性の高い映像が続くのだが、WHO編になるととたんに静かな画となる。評価サイトの面々が「WHOのところからクソになった」とけなしているのだが、私はここのシーンこそこの映画のカタルシスであったように思う。ゾンビへの対抗策として致死性病原菌のキャリアとなった人間はゾンビの捕食対象にならない、という自説を立証するため、ゾンビにあふれる研究棟に乗り込む主人公。ゾンビに追われ絶体絶命となりながらも菌を注射し、捕食対象ではなくなった彼はゾンビの横を素通りする。最後、ゾンビの群れの前で自動販売機を壊し、その音に反応したゾンビの群集がこちらに殺到する中悠々と歩き、ゾンビたちが素通りしてくるシーンが静かながらも最も感極まるシーンではないだろうか。別にゾンビ全員銃でぶっ殺しました、でカタルシスを感じる必要はなかろうて。もっとスマートな方がええやろ?
ただまあ、ラストシーンは蛇足でしたかね…別に続編が出る内容ではないし、もうちっと違う締め方をしても良かったと思う。
元国連捜査官のジェリー(ブラッド・ピット)と家族の乗った車が、渋滞にはまっていた。すると、前方で爆発音が聞こえ、トレーラーが無数の車をはじき飛ばしてクラッシュし、パニック状態の群衆が通りになだれ込んでくる。そのただならぬ状態から家族を守ろうと、妻子を連れて逃げるジェリー。やがて、彼は人間を凶暴化させる未知のウイルスが猛スピードかつ世界的規模で感染拡大しているのを知る。そんな中、元国連職員の技能と知識を買われたジェリーは、各国を回ってウイルスの感染原因を突き止めるよう依頼される。
感想
近年のゾンビ映画の中では屈指の面白さだと思う。ショーンオブザデッドとかドーンオブザデッドに並ぶものだと思う。
先ず、予算凄いですね。ゾンビ映画というと、先ずインディーズものが殆どで、そういうもの中でスマッシュヒットしたものが日本に上陸するというのが定説。まあバイオハザードは例外なんですけど、3以降は完全に方向性を誤ってクソ映画に堕しているというのが現状。
この映画は金がかかっていて、それでいて且つ「ゾンビ映画」に徹していることがバイオとの違い。エルサレム陥落のシーンでは実写を一切使うことなくあの迫力ある映像を作ったという。
普通のゾンビ映画との違いは一つに血やゴアシーンを極力排したこと。昨今人気の走るゾンビものの一つではあるが、元来「追いかけること」と「食うこと」は親和性がないため、この「追いかけること」に徹した映像作りにしたことは、ゾンビのスピード感、迫力を表現する方法としては良かったように思う。それとただ走るだけではなくて、エルサレム陥落のシーンのようにジャンプしてとびかかってきたらせたのも良かった。一番良かったと思ったのは単に皆で走るのではなく、群衆で走らせることで足がもつれて転び、なおその上を踏み越えて走ってくる群衆の「波」を表現できたこと。これはまさにcGなくしては出来ない表現で非常に好感が持てた。
金をかけたということに付随することだが、ゾンビ映画にしては世界観が広いと言うのも注目に値する。ゾンビ映画は概して狭い空間でのサバイバルがほとんどだが、これは主人公の特性上、アメリカ、韓国、イスラエル、ヨーロッパ(国の名前忘れた…)とあちこちを飛び回る。このめまぐるしい場面展開も映画のスピード感を出す効果を発揮していた。
イスラエルまではゾンビの波に民衆がただ蹂躙されるだけ、というアクション性の高い映像が続くのだが、WHO編になるととたんに静かな画となる。評価サイトの面々が「WHOのところからクソになった」とけなしているのだが、私はここのシーンこそこの映画のカタルシスであったように思う。ゾンビへの対抗策として致死性病原菌のキャリアとなった人間はゾンビの捕食対象にならない、という自説を立証するため、ゾンビにあふれる研究棟に乗り込む主人公。ゾンビに追われ絶体絶命となりながらも菌を注射し、捕食対象ではなくなった彼はゾンビの横を素通りする。最後、ゾンビの群れの前で自動販売機を壊し、その音に反応したゾンビの群集がこちらに殺到する中悠々と歩き、ゾンビたちが素通りしてくるシーンが静かながらも最も感極まるシーンではないだろうか。別にゾンビ全員銃でぶっ殺しました、でカタルシスを感じる必要はなかろうて。もっとスマートな方がええやろ?
ただまあ、ラストシーンは蛇足でしたかね…別に続編が出る内容ではないし、もうちっと違う締め方をしても良かったと思う。
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