風立ちぬ 鑑賞
風立ちぬ 鑑賞
粗筋

少年、堀越二郎の夢は美しい飛行機を作ることであった。彼は上京し、大学で学んでいたが、ある日関東大震災で罹災し、その際一人の少女を助ける。内燃機企業に就職した彼は、爆撃機の設計に携わることになる。渡独し勉強を重ねた彼はプロジェクトのリーダーに抜擢される。避暑地に行った折、あるアクシデントを経験したことから5年前に助けた少女と運命的な再開を果たす。その折少女だった里美菜穂子は立派な才媛へと成長していたが、また同時に肺病病みでもあった。しかし2人は激しい恋に落ち、一時は高原病院で治療していたのだがお互いを想う余り平地で結婚生活を送ることになる。二郎の作った伝説の戦闘機、零戦は画期的な戦闘機だったが、同時に多数の死者を生み出す飛行機となった。

感想

天才の栄達と、狂気の妄想の物語。

見てまいりました。
良い映画だね。コクリコ坂も良かったけど、流石に今回ははえ^~って溜息の出る映画。
映像はね、もうほんとにびっくりしちゃって(エア本)
予告にもあった大震災のシーン、地面(というよりは地脈的なイメージ?)がバリバリと裂けて地震いによって地表が波打ち、家家が轟轟と音を立てる。余震のたびに空が割れるような低いうなり声が辺りに満ちる。この映像はすさまじいね。東北の震災後にこんな映像をアニメの形で見るとは思わなかった。

内容について。
映画は全編を通して、イタリアの設計士カプローニとの夢の中での出会いが描かれます。
度重なる彼との邂逅を通じ、彼らは飛行機は何かの道具ではない、という思いを語り合います。二人は現実におけるつながりはなく、これは妄想である、というのが分かります。現実世界における陰鬱とした雰囲気とは打って変わって軽快な音楽や笑顔満面の乗客、ぐにゃぐにゃと動く飛行機などからも、これは躁的な妄想であることが見て取れます。

堀越二郎は帝大で学び、財閥系列の企業に入って30手前で主任設計士となることからも、群を抜いた天才であることがうかがえます。しかしそれは彼の血の滲む努力というよりも、その天才性に依るものであるような描かれ方をされています。上記の妄想はもとより、不断より凡人とは目の付け所が違う二郎。魚の骨の湾曲具合が美しいと言ったり、留学先のドイツで設計について頭を悩ます同僚を余所に暖房機の構造について思いを巡らしたり、菜穂子と雨の中相合傘で帰る中、「この傘漏りますね」といったり。その常識にとらわれない破天荒さは設計の分野において遺憾なく発揮されていくのですが、同時に危うさをはらんだものであったように思います。そしてその危うさとはものの美しさの追求の余り、現実性を軽視してしまうような傾向があるように思います。
それは菜穂子との結婚生活に見えるように思います。
菜穂子が血を吐いたという電報を受け取り取るものも取り敢えず駆けつける辺り、彼も菜穂子を愛してはいたのでしょうが、その愛は本当に菜穂子そのものを思いやっての愛だったのか。
高原病院から野に下り、自分の元へ来た菜穂子と結婚した二郎。高原病院の澄んだ空気のもとで治療することが最善であると知りながら、彼は地上での結婚生活を望みます。「私たちは深く愛し合っていて、今日一日一日をとても大切に過ごしているのです」とさも死を覚悟したかのように二郎は言いますが、ここで命を懸けているのは彼自身ではありません。上司の「それは君のエゴイズムではないのかね」の言葉や、妹の涙ながらの叱責に対しても、彼は満足な返答はしていません。そして肺病病みの人の隣で平気でタバコを(それは仕事をこなすために必要な作業であることにも注目)吸う二郎。彼は何を愛していたのでしょうか。
エピローグ、カプローニと共に地に落ちたゼロ戦の残骸を抜け、空を見上げている彼らの前に菜穂子が姿を現します。しかし演出の観点から言って、彼女は既に現実においてはこの世の者ではないことが分かります。しかし何故最後に「美しかった彼女」を見せるのでしょう。菜穂子はきっと高原病院へ戻った後、病状が手遅れで死んだに違いありません。その末期の闘病生活ではなく、美しい彼女のみを映画の中で見せるのは何故でしょう。
彼は菜穂子という人間を愛していたのでしょうか。

映画のタイトルにあった「生きねば」という言葉。これには「単に生きる」こと以上の意味が込められているように感じました。「生きる」ためには命より大切なものがある、というような狂的な考えが。

コメント

nzm
2013年7月23日21:19

めっちゃ面白かったということは伝わってきた

マイコロス
2013年7月24日13:20

めっちゃ面白い!

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