新午前10時の映画祭 ニューシネマパラダイス 鑑賞
2013年4月21日 趣味
粗筋
ローマ在住の映画監督サルヴァトーレは、故郷の母からアルフレードが死んだという知らせを受け取る。サルヴァトーレはベッドで寝ながら昔を思い出す。
第二次世界大戦中「トト」と呼ばれていたサルヴァトーレ少年の父は戦争に取られ、彼はシチリア島の辺鄙な村で母と妹と暮らしている。村の唯一の娯楽施設は広場の教会兼用の小さな映画館で、新作のかかる夜には、村人たちはみな映画館に集まり、スクリーンに声援を送るのだった。
映画に魅了されたトトは何度も映写室に入り込んで、映写技師のアルフレードにつまみ出されていた。ある事件をきっかけに2人は親しくなり、アルフレードはトトに映写機の操作を教えるようになった。ある日映画館が火事になり、フィルムを救い出そうとしたアルフレードは火傷で視力を失った。やがて父親の戦死が伝えられ、トトは新しく建て直された映画館「新パラダイス座」で映写技師として働き、家計を支えるようになった。
感想
堪らない。感傷に郷愁に、映画への無限の愛が込められた映画。このラストシーンは泣かずにはいられない。
映画は3幕構成。
第一幕はトトとアルフレードの映画に込める情熱の物語。映画を無垢に愛するいたずら少年と、自分を卑下しつつも映画への情熱は捨てない映画技師の中年男性の交流。夜な夜な映画館に集まっては、村の皆が映画を見て行く。神父は教育上相応しくないシーンをカットし、それに野卑な村民はヤジを飛ばすが、それでも皆映画を観に来る。
第2幕はトトの青春の物語。アルフレードの失明と映画館の焼失を乗り越えた二人。新映画座に移っても人々はまだ集まってくれる。映画館で媾うカップル、子供に乳を上げる母親、居眠りばかりする男とそれに徒をする若者。新映画座では神父が今まで検閲してきたポルノシーンもアンカットで上映するので、それが目当ての若者もいるようだ。ここには確かに村人の生活が息づいていた。
そして第3幕。30年後のトトの物語。トトは兵役を体験後、アルフレードに村を出るように言われる。「ここに居ては駄目だ」と。そして決して村に戻るな、仮にもどっても俺は絶対に迎えない、とも。その言葉を守り、親からの電話さえも拒んだトトも、アルフレードの死によって村に戻る。村の映画座は6年前に潰れ、村は見る影もない。アルフレードは深くトトを愛していた。だからこそ、真に彼のことを思いやってトトを村に戻らせなかった。彼の心中は如何ばかりだっただろう。映画座が潰れたのはトトが居なくなったこともあるかもしれない。
トトは思い出のニューシネマパラダイスを訪れ、見る影もなくなった廃館を後にする。アルフレードの遺品を受け取り、再び自分の居場所--それは生まれ育った村ではないーーに戻るトト。母親は別れ際に告げる(これも恐らく今生の別れなのだろう)。「あなたに電話をかけると、いつも出るのは違う女だった。あなたがいつか本当に愛せる女性を見つけられると良い」と。
都会に戻り、フィルムの切れ端を繋いで独り上映する。そこに映ったのは嘗て自分がイタズラでアルフレードにねだったフィルムの切れ端であった。それは旧映画座で神父が検閲していたキスシーン、抱擁シーンが写されたたもの。これをアルフレードが遺した意味とは恐らくトトの少年の日の思い出であり、そしてこの愛の映像こそが彼が言う「まぼろししかない町」において禁じられつつも彼が守ってきた「生の営み、これ以上ない生きることの証」なのだろう。初恋の人、エレナとの失意の別れの後に、愛を忘れたトトに対しての最後の贈り物。
些かノスタルジーが過ぎる気もするが、映画黄金期の映画たちの極上の映像と共に、生きることの重み、愛の意味を伝えてくれるように思う。
~~~~~~
新午前10時の映画祭は今年度、3月末まで2週間に一回更新のペースで続きます!
http://asa10.eiga.com/2013/theater/all/
本当に視る者を後悔させないラインナップなので、映画に興味ある方は是非どうぞ。
ローマ在住の映画監督サルヴァトーレは、故郷の母からアルフレードが死んだという知らせを受け取る。サルヴァトーレはベッドで寝ながら昔を思い出す。
第二次世界大戦中「トト」と呼ばれていたサルヴァトーレ少年の父は戦争に取られ、彼はシチリア島の辺鄙な村で母と妹と暮らしている。村の唯一の娯楽施設は広場の教会兼用の小さな映画館で、新作のかかる夜には、村人たちはみな映画館に集まり、スクリーンに声援を送るのだった。
映画に魅了されたトトは何度も映写室に入り込んで、映写技師のアルフレードにつまみ出されていた。ある事件をきっかけに2人は親しくなり、アルフレードはトトに映写機の操作を教えるようになった。ある日映画館が火事になり、フィルムを救い出そうとしたアルフレードは火傷で視力を失った。やがて父親の戦死が伝えられ、トトは新しく建て直された映画館「新パラダイス座」で映写技師として働き、家計を支えるようになった。
感想
堪らない。感傷に郷愁に、映画への無限の愛が込められた映画。このラストシーンは泣かずにはいられない。
映画は3幕構成。
第一幕はトトとアルフレードの映画に込める情熱の物語。映画を無垢に愛するいたずら少年と、自分を卑下しつつも映画への情熱は捨てない映画技師の中年男性の交流。夜な夜な映画館に集まっては、村の皆が映画を見て行く。神父は教育上相応しくないシーンをカットし、それに野卑な村民はヤジを飛ばすが、それでも皆映画を観に来る。
第2幕はトトの青春の物語。アルフレードの失明と映画館の焼失を乗り越えた二人。新映画座に移っても人々はまだ集まってくれる。映画館で媾うカップル、子供に乳を上げる母親、居眠りばかりする男とそれに徒をする若者。新映画座では神父が今まで検閲してきたポルノシーンもアンカットで上映するので、それが目当ての若者もいるようだ。ここには確かに村人の生活が息づいていた。
そして第3幕。30年後のトトの物語。トトは兵役を体験後、アルフレードに村を出るように言われる。「ここに居ては駄目だ」と。そして決して村に戻るな、仮にもどっても俺は絶対に迎えない、とも。その言葉を守り、親からの電話さえも拒んだトトも、アルフレードの死によって村に戻る。村の映画座は6年前に潰れ、村は見る影もない。アルフレードは深くトトを愛していた。だからこそ、真に彼のことを思いやってトトを村に戻らせなかった。彼の心中は如何ばかりだっただろう。映画座が潰れたのはトトが居なくなったこともあるかもしれない。
トトは思い出のニューシネマパラダイスを訪れ、見る影もなくなった廃館を後にする。アルフレードの遺品を受け取り、再び自分の居場所--それは生まれ育った村ではないーーに戻るトト。母親は別れ際に告げる(これも恐らく今生の別れなのだろう)。「あなたに電話をかけると、いつも出るのは違う女だった。あなたがいつか本当に愛せる女性を見つけられると良い」と。
都会に戻り、フィルムの切れ端を繋いで独り上映する。そこに映ったのは嘗て自分がイタズラでアルフレードにねだったフィルムの切れ端であった。それは旧映画座で神父が検閲していたキスシーン、抱擁シーンが写されたたもの。これをアルフレードが遺した意味とは恐らくトトの少年の日の思い出であり、そしてこの愛の映像こそが彼が言う「まぼろししかない町」において禁じられつつも彼が守ってきた「生の営み、これ以上ない生きることの証」なのだろう。初恋の人、エレナとの失意の別れの後に、愛を忘れたトトに対しての最後の贈り物。
些かノスタルジーが過ぎる気もするが、映画黄金期の映画たちの極上の映像と共に、生きることの重み、愛の意味を伝えてくれるように思う。
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新午前10時の映画祭は今年度、3月末まで2週間に一回更新のペースで続きます!
http://asa10.eiga.com/2013/theater/all/
本当に視る者を後悔させないラインナップなので、映画に興味ある方は是非どうぞ。
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