【宗教映画】ファイナルジャッジメント鑑賞
【宗教映画】ファイナルジャッジメント鑑賞
感想:大川先生まだこんなこと言ってんすかwwwオゲーーーーーー!!!!!
           ⌒  ヾ              、ミ川川川彡
     r/ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ、 ヽ             ミ       彡
     /. ノ(  (゚ッ)/  ̄ ̄~ヽ ヾ        三  こ  駄 三
    /  ⌒     ト、.,..    \丶。       三  ら  目 三
   彳、_      |  ∴\    ヽ        三.  え  だ  三
    | ) r‐      /  ノ( \\  |∴     三  る     三
     |           ⌒|⌒ ヽ ヽ  | 。o    三.  ん  ま 三
   ノ(           /    | |  /        三.  だ  だ 三,.
     .⌒      /    ヽ|/゙U       三     吐 三
           /     u            三.     く  三
                              三     な 三
                               彡      ミ
                                彡川川川ミ.


ただ真面目な話こういう宗教映画を「笑える」ってことは貴重だと思うの。「宗教万歳!」とか言い出すのはアレだし、かと言って「宗教弾圧!」も駄目。理解も共感もしないが許容はする社会ってのがいいんじゃないのかな、と仏教系の家柄出身として思います。

粗筋
・序盤

主人公は政治(笑)に目覚めた青年。近隣の軍事国家がヤバいことを知り、渋谷で街頭演説をするも誰にも聞き入れられず、政治の道を断念。
数年後、彼の予測した通り軍事国家は日本を侵略。独裁制を敷き、宗教弾圧をする。

ここまでは1984みたいな監視社会の怖さを描くSF?映画もどき。
それと背景知識として幸福の科学は選挙に出馬した際の公約として
(うろ覚えながら)
領有権問題での毅然とした対応、非核三原則だったか自衛隊だったかを改正して先制攻撃の出来る軍隊へ、拉致問題への解決へ
などなどネトウヨ歓喜なものを掲げていた時代もあり、冒頭の「今の日本は政治的軍事的に弱い」主張はここからきているのかな、と。

・中盤
主人公は軍事国家に迎合せず、レジスタンスの一員へ。地下組織では宗教が信仰されており、レジスタンスのリーダーの教えを聴き、自分で答えを探すうちに宗教の中に光を見出す。

宗教団体発の日本文学の中で最も有名な塩狩峠しかり、「もともと反抗的だったものが宗教に目覚めると狂信者になる」ってのはどこも同じみたい。サタンの誘惑を乗り越えるキリストみたく悪魔くんに惑わされそうになったこともあるが気合と信仰心で乗り越える。

・終盤
レジスタンスの中で次第に教祖的役割を担うようになる主人公。しかし内通者が出たせいでレジスタンスは一網打尽にされ、壊滅。が、内通者がのちに改心し、彼を外に連れ出す。彼は自分の原点である渋谷の街頭演説に舞い戻り、全世界中継の中、信仰することの素晴らしさについて説く。

・とってつけたようなエピローグ
軍事政権は革命が起きて潰れたとさ。



・観終わっての感想
この前のアニメ映画仏陀再誕から幸福の科学さん変わったのかなーと漠然と思った。
この前の作品では
①他宗教は一切認めない(明らかに創価学会らしき教団を日本にはびこる害悪、人々を苦しめるものとして描きながらも、自宗教は圧倒的に正しいものとして描く)
②奇跡は「起きる」もの
と、いささか夢物語、誇大妄想狂のようなものを展開していましたが、今作では他宗教の許容をしていましたし、何より「奇跡」は「起き」ない、ということを明示しているところに成長?というか、現実的なものの見方をするようになったなあと感じました。

宗教は心を教えるものの筈なのに、奇跡という現象=証拠があるかのように謳い、人々を惑わす。「幸せになる」のではなく「幸せな考えになれるようにする」という現実を教えてくれない。
そういう如何にも気持ち悪い宗教らしさを出してないという点ではこの映画は見るべきところもあるのでしょうか。

ただし私の結論としては悪魔くんの吐いた名台詞(そもそも悪魔というのは人間の本音を喋る者ですしね)
「宗教とイデオロギーが憎しみを生む」
に完全同意ですね。
博愛だの兼愛だの「全ての人を愛せ」と馬鹿のようなことを謳っていますが、そういう普遍さの仮面を被り、「自分たちしか愛さない」という姿勢を狭量だといって馬鹿にする姿勢こそが宗教の独善性であり、愚かしさだと思います。

だからこの馬鹿映画もあくまで「こういう考え方もあるんだ」ぐらいにすべきです。宗教は生き方を教えてくれるものではありますが、何も一つに専心するのではなく、いくつもファッションのように着替え、相対化していくことこそ真の宗教理解であるように私は思います。

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