上手いッ!!
First Person View(一人称視点)のホラー映画でまさかシナリオで勝負してくるとは思わなかった。ホラー映画としてなら文句なし100点、映画としても80点越えの評価。
ホラー映画ファンを自認してるヤツらは皆観るべき。
感動したので長文書きます。

・粗筋
ルイジアナ州バトンルージュ。“悪魔祓い(=エクソシズム)”のベテラン、コットン・マーカス牧師は、“悪魔祓い”の真実を追うドキュメンタリー映画製作に参加する。悪魔の存在を信じていない彼にとって、儀式は信者たちへのサービスにすぎなかったが、近年各地で“悪魔祓い”による事故が多発していた。危険な儀式を止めるべきだと考えたコットンは、真実の告白を決意。儀式がトリックを用いた一種のショーであり、実際には何の効果もない詐欺的行為であることを、カメラの前で明らかにしようというのだ。コットンとディレクターのアイリスはカメラマンを伴って都市部から遠く離れた町アイヴァンウッドへ向かう。
アイヴァンウッドには様々な宗教が信仰されており、中には悪魔を信奉するカルト集団もあるとのこと。
キリスト教原理主義者の農家、ルイス・スウィーツァーの16歳の娘ネルが毎夜不審な行動を取り、多くの家畜が惨殺されているという。だが、純朴で可憐なネルに悪魔が憑いているとは考えられなかった。コットンは今まで通り、家具を動かすピアノ線や悪魔の声を流す小型スピーカーなどトリックを利用して儀式を行い、それをアイリスたちに撮影させる。彼の経験では悪魔憑きの多くは精神的なもので、このように儀式による暗示で解決してきた。無事に仕事を終えたコットンたちはモーテルに宿泊するが、真夜中、アイリスに呼び出される。宿泊先を知らないはずのネルが、彼女のベッドに座っていたのだ。ネルを病院へ連れて行き、精密検査を受けさせるコットン。ところが、病院を嫌うルイスは娘を家に連れ帰ってしまう。帰宅したネルの行動は、完全に狂気と化していた。初めての体験に戸惑うコットンと撮影隊の前で、次々と超常現象が発生。恐怖と戦慄がルイス邸を包んでいく。ようやくコットンは、自らの考えが間違っていたことを悟る。“悪魔は間違いなく、実在する”。神に祈るコットンだったが、すべては遅すぎた……。


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ネルの奇行は次第にエスカレートし、弟の顔をナイフで切りつける、猫を殺す等回りに危害を及ぼし出す。
コットンはスウィ―ツァー家の以前の主任司祭であったマンリー牧師と接触。以前のネルは快活だったこと、ルイスがマンリー牧師との間で教義の違いが出てきたことからネルを教会に通わせることを止め、以後彼女を自宅にほぼ監禁状態にしていたことが分かった。
病院からの留守番電話によって、ネルが16歳にして妊娠していることを知ったコットンは、彼女の回りの者によるものだと考え、彼女の奇行もそれが原因ではないかと疑り始める。
しかしルイスは娘の妊娠を悪魔のものだと激高し、娘のエクソシズムをコットンに迫る。エクソシズムをしなければ、自分の手で娘を殺すことで魂を救済する、と狂気染みた思いに憑かれたルイスに恐れをなしたコットンは、ネルに2回目のエクソシズムを施す。「純真な娘から出て行け」という言葉を連呼するコットンに対し、ネルは遂に自分は純真ではない、と白状し自分の妊娠の顛末を語る。

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ネルは町のカフェで働く男性店員との夜遊びで自分は妊娠した、とコットンとルイスに打ち明けた。ネルの奇行は羞恥心と罪悪感から生まれたものだ、と納得したコットンは、マンリー牧師にネルのメンタルケアを任せ、カフェの店員に話を聞きに行く。
店員は自分はゲイで、女性と性交渉を持たない、と突き放してきた。ならば何故ネルは嘘をついたのか?彼女の悪魔はまだ祓われていないことに戦慄したコットン等は、急ぎ農場に戻る。家の中はびっしりと冒涜的なペンタグラムが書き連ねられていた。外で女性の絶叫が響き渡り、彼らは声のする方向へと向かう。
夜空を焦がすようなかがり火の下、磔にされているルイス、台の上で人間ではないものを出産するネルの姿が見えた。
その集団を指揮しているのはあのマンリー牧師であった。
何が起きていたのかを知った彼らには、逃げる時間は残されていなかった。


・感想
ホラーで幽霊落ちにしない。素晴らしい。脚本家ぱねぇ。

観客の思考を少しずつ推移させつつ、そこかしこに伏線を張っていき、最後の三分で全ての点と点を線でつなぎ合わせる。ミステリーとはまさに斯くあるべき、という見本。

最初にモキュメンタリーお得意の「失踪したTVクルー。現場に残ったビデオテープ。中には壮絶な映像が」と客を煽り、「ああまた幽霊落ちだな」と思わせておく。
超常現象が起きてからは謎を一つは残しておき、観客に推理させていく。
何故ネルは精神的に不安定なのか?
→悪魔に本当に取りつかれているのか?
→妊娠していた。明らかに雰囲気がおかしい父親が強姦したのだろうか?精神錯乱はそれによるもの?
→それにしてはおかしい。やっぱり本当に悪魔なのか?
→妊娠は人によるものだった。悪魔の仕業ではない。
→しかし妊娠の証言は嘘だった。なら何が彼女を妊娠させたのか?


そして作品の序盤、中盤に貼られた伏線がラストシーンで回収される。
「バトンルージュにはカルト教団が出来た」
マンリー牧師曰く「ルイスと私の間で『教義の違い』が生まれ、ルイスは私の教会にネルを通わせなくなった」
「ネルが人外のものを産み落とした時、供物を火に投じたのはマンリー牧師であった」


ひょっとしたら、類推していけば、エクソシズム映画では完全なる善の側であった神父が、実はカルト教団の長だと気づけたかもしれない。でも観客の思考をうまく誘導していて、それと気づけない。
それでいて最後に納得出来る、だが想像もしていなかった結末を持ってくる。


手垢のついた「モキュメンタリー」という作風を取りつつも、安易な幽霊落ちにしない。古き良き70~80年代のセンスを現在に蘇らせることで、昨今のホラーの脚本の弱さへの痛烈な皮肉になっている。
全ホラー映画ファンに捧げる名作だと思います。

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